年表「御座の歴史」

この年表は「志摩町史」に記載された年表を基軸に他誌による御座についての記載部分を取り込みながら、「御座学」勉強会が再編集した。但し取り込んだものの中には必ずしも史実でない御座についての記述が含まれている。
この年表では御座の部分は太字体で示し、併せて御座にも関係した志摩地方や日本の歴史的事項をも列挙した。
*のついたのは直ぐ上の項目の補足説明である。

西暦 年号                      郷土のできごと               |日本のできごと
先史期 御座地域に見られる生活跡
○ 御座白浜遺跡(縄文・弥生土器片、土師器片、組成の石器、黒曜石の石鍬、半磨製の石斧が発見されるも、自然災害で現在痕跡なし)
○ いかの浦石器時代遺跡遺跡(幾種類の用具の石器が発見されるも、開発のため、現在その地点を見るのは困難)
○ 地蔵貝塚(各種の土器・土師器は小学校に保管、鹿角装太刀は三重県の認定うける。弥生期の人骨は散逸)
○ ツバ井戸古墳(石斧の一部、須恵器)
  ○ 人穴古墳(別名:クサギの人穴、須恵器も出る)
 *『御座村考古誌考』によれば、この地(アザ細田)付近は昔の御座の里の一支郷とされている
  ○ 台場古墳(細田墳のことか。石斧が出土?旧日本陸軍による壕作りのため破壊)
 *この名称は幕末に鳥羽藩が外国船監視のために設営したことに由来
○ 御座神社上遺跡(諸口坩の出土)
○ 旅守神社跡遺跡(縄文土器片、土師器、須恵器平安期又は鎌倉期の遺物諸口坩も見つかる)
○ 金比羅古墳(鏡、刀剣類。経塚との説あり)
○ しがらき経塚(一墳状形のものあり)
○ 他に墳丘のあるところ(字大クビリ、字モクロジ、字タカタニ、字ヒョウ)
御座の地層について
@ 里の中央地に井戸を一丈二尺掘ったところ、初めに波に打ち寄せられた多量の塵芥、次いで掘れば砂浜の砂礫のと同じものがあった
  A また同近くの家の井戸掘りで一丈二尺下に樫の実が三荷ほど掘り出されたとの記載あり
B 昭和26年時の古老の言として、御座の港一帯の海浜は30年前(従って大正期)には2倍あったとのこと
 *@、A、Bとも鈴木敏雄著『御座村考古誌考』による
歴史期  
  年号前 垂仁天皇(前29−後70)25年に神宮の供用地となる
 * 御座について『神宮雑例集』には志摩国胡佐庄神田四町四反と記載。外宮の旧神楽歌には「御座ノ島、御座ノ三宮神」、『節用集』には「伊勢国御座島郡」と記載
646 大化2 志摩地方に答志、英虞の二郡が置かれた。(以後明治まで続く) |国郡制(国・郡・里)の施行。後に里は郷に改称
     *但し「佐芸」なる郡名が「続日本紀」にのみ記載されているも、結局上記二郡におさまった
 * 『御座村地誌』には古時御座は英虞郡名錐郷に属し胡佐と称し、又古老の話として大神宮の御迂幸の時この村に鎮座されてから御座に転訛したと記載
683 天武12 伊賀、伊勢、志摩の国境を定める
698 文武2 高橋朝臣嶋麻呂が伊勢守に任ぜられ,志摩国司を兼務する
 * 中岡志州編の『鳥羽志摩新誌』によれば、彼の前後の志摩の国の支配者を九鬼氏まで挙げると下の通り(…は文献なく、詳細不明の意):
 笠屋命→…高橋氏&安曇氏→…多治比氏→高橋氏→…門部王→多治比氏→…敢磯部忍国為→…県造久太良→伴良雄→酒見文正→…多治比氏→…多治比貞岑→…高橋継善→…志摩守氏○→…金沢氏&物部泰実→…
(上段右より)北畠氏&伊勢神宮神領→…文夜英材&伊勢神宮神領→…島田波守&伊勢神宮神領→…
(上段右より)石川九郎&伊勢神宮神領→…北畠氏&伊勢神宮神領→…九鬼氏(伊勢神宮領も支配)
710 和銅3 志摩の国志摩郡の記載のある木簡が平城宮跡で出土
719 養老3 答志郡の五郷を分割し佐芸郡を設ける(但し志摩の国がいつ二郡に戻ったか不明)
736 天平8 志摩の国英虞郡の記載のある木簡が平城京で出土
825 天長2 空海が朝熊山に金剛証寺を建立したと伝えられている
1156 保元元 橘宗忠の所領となる
 *『御座村地誌』による。このときの志摩の国の支配者は不明
1177 治承期 この頃に志摩国が一時平氏の領国となった
 * 御座は平氏の落ち武者が来て作った、又はアザ細田にて居住したとの説あり(但し古老の話から)
1335 建武2  北畠親房が伊勢国司に任ぜられ志摩国司を兼務する
1355 文和4 『二見御塩殿文書』には御座の清原氏女と記録されている
1467 応仁期 御座(島)源四郎、播磨にて討ち死にとの記録あり(城山にある御座城跡は源四郎が建てたとも言われている。但し口承)
 *『御座村地誌』による
1504 永正期 佐治隼人が領するところとなる(但し伊勢国司北畠機親に属す)
 *『御座村地誌』による
1537 天文6 御座神社に「城主、宣安、天文6年」の銘ある棟札が所蔵されている
 *御座城と関係あるかは不明
1571 元亀2 臨済宗南禅寺派梵海山潮音寺(当初は金剛証寺の末寺として)開山 
 *「御座村地誌」によれば、天正4年に金剛証寺第9世忠央(寺の記録は忠英)が開山とある。現在の潮音寺は大本山を南禅寺、中本山を金剛証寺としている
1576 天正4 九鬼嘉隆 信長の傘下に入り北畠氏を滅して志摩国を統一
    *嘉隆は一時志摩の地頭の一人であったが追放されていた
『九鬼水軍記』によれば、この頃一時嘉隆と対立し、後に臣従した越賀隼人の御座家老として東帯刀、西左近の名前がある
1600 慶長5 関ヶ原の戦 九鬼嘉隆は西軍に、世継ぎの守隆は東軍に味方する(後に守隆は鳥羽藩主に)
1633 寛永10 九鬼久隆攝州三田へ移封、青山半弥もそれに付き従う。 隆季丹州綾部へ移封、越賀隼人それに付き従う
  *江戸幕府の統治政策の結果。お家騒動を利用してていよく鳥羽から追い出した
 以後、九鬼家は鳥羽と縁切れる。明治までこの地は一度幕府の直轄地となった他、下の6家の大名が統治
  鳥羽藩主=内藤忠重・忠種・忠次・忠勝・土井利益・松平乗邑・板倉重治・松平光慈・稲垣昭賢・昭央・長以・長続・長剛・長明・長行・長敬
1660 万治3 御座村地下大火全焼
1674 延宝2 いか浦谷類焼
元禄4 鳥羽藩、志摩の国(志州)1町55ヶ村を4組に区切る。御座村は鵜方組(13ヶ村)に入る
 *鵜方組は越賀組、先島組とも言い、越賀村、和具村、布施田村、片田村、船越村、波切村、鵜方村、迫子村、塩屋村、檜山路村、南張村、浜島村、御座村でもって構成される
1700 元禄13 御座村と浜島村イワシ網漁で紛争する
1704 宝永期 この期より祷屋制度誕生。御座村での神事の中心となった。                        
 *この中核である大祷は村創立当時の氏子31戸よりなり、後に新規に小祷が設けられたが、昭和28年に町に組み込まれて以後衰微し現在では存在しない
1707 宝永4                             |10月、日本最大の大地震 11月、富士山大爆発
1711 正徳元 御座村に「切支丹制札」(現在御座小で保管)たてられる
1717 享保2 初出の御座の人口(家数80、人口416)が『鳥羽志摩新誌』に記載
1726 享保11 『御座村指出シ帳』に御座の石高は183石2升3合と記載
 *同差出帳には他に、浦役銀206匁、竹年貢3匁、糠12俵、勝栗12束、草藁10束、葛葉20俵、他、海産物数種を各数個(初物と大漁時は別途)あり
      * このときの村役は久太夫(庄屋)、次兵衛(庄屋)、八左右(肝煎)、長三郎(惣代)、弥六(惣代)
1728 享保13 難民救済の訴願を出す
 *このときの村役は久太夫(庄屋)、治兵ヱ(庄屋)、左治兵ヱ(肝煎)
1770 明和7 御座村に「徒党制札」(現在御座小で保管)たてられる
1779 安永8                              |10月、薩摩国桜島爆発 10日後、志摩に灰降る
1795 寛政7 美濃国の霊源禅師、爪切不動尊に不動堂建てる
1805 文化2 伊能忠敬片田〜御座迄測量する
1820 文政3  御座村過半数炎上する(潮音寺も全焼) 
 *これにより古時御座の記録のほとんどが消失したと言われている
1825 文政8 御座潮音寺再建
 *このとき再建費調達に関わった村役の人が鈴鹿峠で事件に巻き込まれたと伝えられている
1830 天保期 この頃より今の青年団の前身 若仲間の集い(万延期には若者連又は若衆組とも言っていた)ができていた
 * 御座小学校保管の「義誠社備品台帳」には天保期の時役員功附録・奉加簿、明治期の若仲間条目・連名簿の存在を示す記載文書あるも現在消滅
1845 天保16 この年の15〜60歳の御座村人数459人とこの年の鳥羽藩御触状(井上多市控)に記載
 * この数字は飢饉によって困窮した鳥羽藩が各村に課した上納金の算出根拠となった御座の人数
1854 安政元 東海近畿地方を襲った安政の大地震と津波で志摩半島一帯をなめつくした(津波の高さ3丈の記録大蔵寺内に保管されている)
1858 安政5 8月 コレラ発生で先嶋地方も流行で被害でる
1860 万延元 鳥羽藩 志摩沿岸各所に黒船迎撃用の砲台設置(御座はアザ細田に)
1864 慶応4                                           |五ヶ条のご誓文
1868 明治元                                           |明治政府誕生、廃仏毀釈         
1869 明治2 6月 旧藩主稲垣長敬はそのまま藩知事に任ぜられる        |版籍奉還 
1870 明治3 7月 志摩国大風雨洪波死者数十人(9・18暴風雨高波使者6人、流失家屋156戸)
1871 明治4 7月 鳥羽藩は鳥羽県に。英虞、答志両郡の町村を12区に分ち、各区に戸長を置く
1872 明治5 鳥羽県が度会県に統合される
御座人の戸籍:三重縣志摩国英虞郡御座村△△番地屋敷 戸主△△△△(氏名がつく)                                                    |2月 戸籍法を実施、壬申戸籍を編成
    *庄屋、五人組帳、宗旨改帳を廃す。但し壬申戸籍は差別記載あり、現在は封印
                              |同年 郵便法・学制・太陽暦・円銭制も決まる  
1873 明治6 御座・越賀間磯境争い解決(ヤスリ島が御座に帰属)       |地租改正 徴兵令布告
 *度会県の裁定書は明治7年に出ている。尚、『御座村地誌』によれば、この磯境係争問題は文化年間に始まり、弘化年に再燃していた。越賀ではそれまでヤスリ島を一対島と称していた
 尚、文政・弘化年間に鳥羽藩に出した訴状の御座村代表者は下の通りである。
六右衛門(庄屋)、與左衛門、三郎右衛門、佐五右衛門(以上3名肝煎)
万作、源左衛門(以上2名組頭)、
利兵衛、善蔵、忠三郎、源兵衛、太左衛門、卯右衛門、喜左衛門、三右衛門(以上8名惣代)
 又、明治6年、合意した旨の請書を県に出した時の御座村側の代表者は下の通り。
山本三右衛門、赤松与左衛門、柴原伊助、(以上3名頭百姓)、柴原善蔵、浜口忠治(以上2名総代)、
山口伊左衛門(仮副戸長)
1875 明治8 御座小学校(潮音寺を使用)創立(志摩の各村でもこの前年から小学校が創立される)
1876 明治9 3月 布施田組を廃し、越賀、御座村戸長役場を設置。度会県が三重県に合併し、現在の三重県誕生
1877 明治10 最初の御座小学校舎を153番地(クニシ)に創設
1879 明治12 郡区制改正(御座は越賀村と合併し三重県英虞郡郡越賀村外一ヶ村御座村となる) 同年、第1回県会議員選挙、町村議会議員選挙実施 
1882 明治15 1月 答志郡に28役場、英虞郡に18役場が設けられる(これにより行政区として御座村は越賀村から分離独立する)
1883 明治16 御座小学校舎を新築(現在の保育所地に)
1884 明治17 4月 各町村で消防組結成
1886 明治19 7月 コレラ県下に流行 県下の死者1108人               |義務教育年限4年に
1887 明治20 一番古い地誌として「英虞郡御座村地誌」出される
1888 明治21 御木本幸吉神明浦で真珠貝の養殖を始める
1889 明治22 三重県は1市21郡18町、317村となる(村長、助役、収入役制)。初代御座村村長:山本伊右衛門
                                         |大日本帝国憲法発布
1890 明治23                                            |10月 教育勅語下賜
1892 明治25 各小学校に御真影下賜
1894 明治27                                            |5月 日清戦争はじまる 
1895 明治28 江戸時代からあった若仲間の集いを組織化し、義誠社と改称。消防組も実質上義誠社の管理下に入る
1896 明治29 答志、英虞2郡を併せて志摩郡となる(このとき2回台風来る)
1897 明治30 4月 御座村巡査駐在所設置。北清事変始まる(明治33.御座で最初の戦死者出る)
1900 明治33 娼妓取締令、船行遊女(ハシリガネ)禁止
1901 明治34 12月8日 暴風雨でさんま船遭難、6人死亡(和具)、15人死亡(片田)、同14日 暴風雨でしび縄船遭難、9人死亡(和具)
1902 明治35 不動尊にこもり堂を増築。
和具村外三ヵ村組合立崎島水産補習学校、和具に開校(後に県立志摩水産学校に)
1903 明治36 御座漁業組合設立(初代組合長:山村治亮、以後、御座漁業会、御座漁業協同組合と改名する)
1904 明治37                                            |2月 日露戦争初まる
1907 明治40 11月 御座旅守社他各社を合祀して御座神社となる。崎島水産補習学校を志摩水産学校と改称
1909 明治42 この頃英虞湾各港と鵜方を結ぶ巡航船就航
1911 明治44 2月16日 御座出身の元南禅寺管長勝峰大徹寂。片田・布施田・越賀・御座の各村に実業補習学校設置。
山田−鳥羽間に鉄道開通
1912 明治45                                             |明治天皇崩御 
1912 大正元 各村に青少年団・処女会誕生(御座では青年会と称し処女会<後の女子青年団>と共に義誠社の管理下に)                                    |大正天皇が即位
1914 大正3                                            |第一次世界大戦はじまる
1918 大正7 9月 大暴風雨、崎島地方で死者10人。スペイン風流行、死者多数
1919 大正8 御座郵便局できる(但し無集配三等郵便局:郵便物は和具局、電報は越賀局か浜島局扱い)。
鳥羽−鵜方間バス運行
1920 大正9 和具村他三ヶ村組合立崎島水産学校を志摩郡立水産学校に昇格
1922 大正11 御座不動参道切り替え(不動境内拡張工事も行う)
    郡制廃止に伴い志摩水産学校を県立に移管
1923 大正12 志摩各地に電灯つく。郵便局に電信電話開局            |9月 関東大震災
1924 大正13 各小学校共郷土誌を編さんする(「御座郷土地誌」は現在御座小にて保管)
1926 大正15 青年訓練所各村に開校す 
1926 昭和元                              |大正天皇崩御 昭和天皇が即位し昭和と改元
1929 昭和4 賢島-鳥羽間電車(志摩電)開通。御座への巡航船通う
1931 昭和6                                             |満州事変起こる
1932 昭和7 深谷水道開通
1933 昭和8 国道260号線に相当する越賀ー御座間の道完成
1934 昭和9                                              |室戸台風
1935 昭和10 青年訓練所と実業補修学校を発展解消し、青年学校を各村に設置
1936 昭和11 御座農会設立(初代会長:竹内左治平、以後、農業会、農業協同組合と改名する)
1939 昭和14 政令により御座消防組は御座警防団に改称。鵜方−越賀間バス運行
 *防空法により軍部が民政に介入した結果おこった。これも義誠社が管理運営
1941 昭和16 波切と御座に防空監視硝を設置         |尋常小学校を国民学校と改称、太平洋戦争
 *この年まで義誠社の存在記録あり
1942 昭和17                               |食糧管理法公布  衣料切符制実施
1943 昭和18 御座漁業組合を御座漁業会と改称
1944 昭和19 御座農業会設立。東南海大地震津波 死者998人
1945 昭和20 4月 動員令下り現在の志摩町地域に一大隊(約千名)が駐留(『志摩国郷土史』より)
 *軍の文書破棄命令によって公の記録は残されず。当時駐留の現役大尉の話では陸軍は6千名、海軍では約千名の兵隊がいた(『鳥羽志摩新誌』)より
同月7日 御座に爆弾投下される。死者31名
    6月 片田、和具小学校にも爆弾投下            |8月15日 天皇終戦詔勅放送
 * この年その他、磯部村、鵜方村、神明村、鏡浦、菅島、波切、甲賀沖の的矢駐留海軍所属艦にも投弾される
1946 昭和21                                      |天皇人間宣言・新憲法公布
1947 昭和22 御座村国民学校は御座村立御座小学校に。御座中学校発足(小学校と併設)                                                 |教育6−3−3−4制実施
御座村消防団誕生(法改正により警察より自治体の管轄に)
1948 昭和23 家から人への戸籍法実施
8月 御座農業会を御座農業協同組合として改組
御座・越賀・和具・布施田で学校組合立和具中学校設立し御座中を統合(全員が徒歩での通学)
1949 昭和24 御座漁業会を御座漁業協同組合として改組
御座の真珠養殖の任意組合を組織
御座の中学生、和具中の越賀校舎に通学(以後現在までこの校舎に通学)
1950 昭和25 御座婦人会再発足(敬老会も主宰) 9月 ジェーン台風襲来 
1951 昭和26 御座の農田で2軒が保温折衷苗代を行う(以来志摩郡下に広がる)
1952 昭和27 10月 越賀中学校独立す(S25和具中の越賀分校認可後に)
1953 昭和28 9月、13号台風、志摩上空通過 志摩の海岸堤防各地で決壊
三交バス御座線正式開通(実際には戦後間近から御座へのバスがあった)
1954 昭和29 12月 和具町、片田村、布施田村、越賀村、御座村の5か町村合併し志摩町が誕生(初代町長:笹山竹之丞)。県立志摩高校発足
 * 町名決定については、当初難航したが、阿児町を志摩町に改名する動きあってから急きょ志摩町に決定した
1955 昭和30 消防団、合併により志摩町消防団に属す(同様に御座漁港の管理も漁協から志摩町に)
6月 第1回町議会議員選挙(26名、御座からは2人当選)
1957 昭和32 布施田に初の幼稚園創設(以後の新設分を含め御座の幼児の修学記録なし。従前からあった御座の託児所に通ったと考えられる)
7月 御座小学校を新築
 *この時の経緯については、小学校の機関誌『たかたに』に記載あり
町内各地区に有線放送施設できる
1959 昭和34 御座婦人会経営の私設託児所を旧小学校跡地に開設(それ以前からも実質的には元農協施設横や旧小学校裁縫室内に設けていた)
4月 和具診療所が町国保直営前島病院に、片田診療所が片田分院となる
4月 第2回町議会議員選挙(22名)
4月 志摩町観光協会設立、12月 志摩町商工業共同組合設立
9月 伊勢湾台風来襲
1960 昭和35 5月 チリ地震津波の余波で海上施設に被害甚大
10月 志摩町商工会設立
1961 昭和36 御座真珠養殖漁業協同組合発足(設立時35人、最盛期61人。初代組合長:山本正樹)
9月 第2室戸台風 志摩の被害35億円
1962 昭和37 3月 町営ごみ焼却場完成
12月 前島病院新築移転し診療を開始
電話全町一本化855戸、加入
1963 昭和38 7月 広報しま第1号を発行、8月 志摩町体育協会発足
10月 町内各学校にミルク給食実施
1964 昭和39 8月 志摩町中央公民館新築、10月 第1回町民体育祭実施          |新暦採用
キャンプ営業始まる(開始期3-4軒、最盛期20軒、現在9軒)
1965 昭和40 国道、鳥羽〜御座全面舗装完了。伊勢道路開通
1966 昭和41 御座保育所開設(元小学校校舎を利用)
1967 昭和42 御座〜浜島間にフェリーボート就航
御座漁港完工(第1期)
  民宿営業始まる(創設期4軒、最盛期30軒、現在14軒)
*保健所の記録によれば、旅館営業許可件数はS42〜H17で45件、廃業届件数はH5〜18で14件。それ以外にあるも実態は不明
1968 昭和43 御座漁協に公民館的な性格を持つ新事務所を建築             |郵便番号制発足
4月 じん芥焼却場和具奥山に完成(セミ機械焚焼却炉扇形可動ロストル型10トン炉)
12月 第1回町民美術展開催、志摩町美術協会発足
1969 昭和44 4月 志摩郡5町と南勢町の共同し尿処理場が業務を開始、8月 志摩町全地区水道通水開始
1970 昭和45 4月 町民体育館完成
近鉄、賢島へ特急乗り入れ
町人工採苗施設御座に完成
1971 昭和46 弁財天の祠建立
4月 志摩町常備消防団誕生
1972 昭和47 1月 75歳以上の老人の医療費無料化開始(しかし1983年に再び有料化する)、
4月 志摩町綜合計画策定
1973 昭和48 4月 志摩広域消防組合設置 志摩広域消防組合の設置により志摩町常備消防合併(町消防本部が志摩分署となり御座はその第6分団に属す
1976 昭和51 御座農業協同組合解散(この年の10年前頃から取扱量激減、以後の生産はすべて自家消費となる。但し2000年に農家1の記録あり)
1978 昭和53 5月 深谷大橋完成
1979 昭和54 3月 保健センター完成、3月 清掃センター完成、
6月 町の木「つばき」に決定、9月「暴力追放の町」宣言
1980 昭和55 メーガメ島に鳥居建立(篤志家の寄贈による)
1982 昭和57 3月 国土利用計画(志摩町計画)策定
1983 昭和58 4月 前島病院内科病棟完成
1984 昭和59 2月 一般廃棄物最終処分場御座地区に完成
3月 国道260号バイパス一部開通(深谷〜片田間1800m)、6月 長田橋完成
1985 昭和60 2月 学校給食センター完成(4月15日給食開始)
4月 防災行政無線「こうほうしま」開局(屋外受信機40基)
1987 昭和62 5月 B&G財団志摩海洋センター竣工
10月 第1回町民祭開催される
10月 「あわび王国の宣言」、町の花「浜木綿(はまゆう)」に決定
1988 昭和63 4月 鳥羽志摩13農協が合併して、鳥羽志摩農業協同組合となる
    4月11日 粗大ゴミ処理施設(破砕機)完成運転開始
8月 「日本の道百選−真珠の海を一望する道−」碑の除幕
1989 昭和64                             |1月7日 昭和天皇崩御、新元号平成が始まる
1989 平成元 3月 片田に志摩共同福祉施設が竣工。4月 志摩丸山橋が完成
御座−浜島間のフェリー廃止
1990 平成2 10月 B&G財団志摩海洋センターが町へ無償譲渡
1991 平成3 4月 英虞湾にハナゴンドウ(鯨の1種体長4〜5m)20頭前後が5時間余り回遊
5月 御座白浜に排水処理施設が完成
10月 ふるさとの歌「はまゆうの郷」「志摩音頭集い唄」が完成
1992 平成4 4月 蓮ダムから志摩用水へ通水はじまる
1993 平成5 不動境内の大師堂改築
7月 志摩町特産物販売施設完成、10月 在宅介護支援センター設置、11月 志摩広域消防組合志摩分署新庁舎完成
1994 平成6 3月 役場新庁舎竣工(4月1日業務スタート)
6月 御座コミュニティセンター竣工
金比羅山にトイレ新設
1995 平成7 4月 志摩町総合スポーツ公園完成
1996 平成8 4月 一般廃棄物最終処分場完成、4月 町道阿津里線・志摩バイパスの一部が完成、4月 志摩オートキャンプ場オープン
1997 平成9 1月 志摩町文化会館竣工、7月 志摩町図書館オープン
1998 平成10 5月 日本の水浴場55選に「御座白浜」が認定される
1999 平成11 3月ごみ処理施設完成、9月志摩町デイサービスセンター完成
2000 平成12 御座漁港整備事業45年かけて完成(着工は昭和31年)
2001 平成13 5月 日本の水浴場88選に「御座白浜」が認定される
4月 志摩郡4町による任意の志摩地域合併問題協議会を設置、4月 本町が東海地震の強化地域に指定される
2002 平成14 5月 御座駐在所なくなる(この前年から所員の常住廃止)
7月 志摩・浜島・大王・阿児町の18漁協(御座漁協含む)が合併し「志摩の国漁協」が発足
9月 志摩町文化協会が発足
2003 平成15 4月 「志摩地域合併協議会」(法定協議会)を設置、4月 ケーブルテレビ本放送開始
志摩・大王・阿児・南勢の6真珠組合(御座の組合含む)が合併し三重県真珠養殖漁業協同組合が発足
11月 国道260号志摩バイパス和具浦にかかる橋の正式名称「志摩大橋」、通称「志摩パールブリッジ」に決まる
12月 志摩町が南海地震防災対策推進地域に指定される
2004 平成16 2月 志摩郡5町の「合併協定調印式」が阿児町で開催。2月 志摩郡5町で臨時議会が開かれ志摩郡5町の合併が賛成多数で可決
2月 国道260号志摩バイパスに志摩大橋の主橋梁部が架設される。7月 志摩町制50周年記念式典。10月 志摩市誕生(初代市長竹内千尋)
2006 平成18 御座自治会発足(前年より発足に向けて活動開始・初代会長山岡美子)
 *以後、御座地区住民の意思は六つの番組会議を経て自治会がまとめることになる
御座小学校新校舎建造(もとの校舎を取り壊した跡地に)
2007 平成19 3月 平成18年度念仏講の報恩寄進によって不動尊内の子安地蔵堂の補修
  不動尊・石仏運営委員会発足(以前は漁協が管理)
12月 御座不動尊奉賛会&漁協青年部によって不動尊内の弘法井戸補修 
2008 平成20 3月 旧志摩町立前島病院の閉院(4月より大王病院が市民病院となる)
2009 平成21 自治会六つの番組の構成員再編成(10軒組の見直し)。婦人会は自治会傘下になる
国道260号線御座までのバイパス道路完工
2010 平成22 志摩の国漁協を含む12漁協が合併し三重外湾漁業協同組合が発足
2012 平成24  3月 御座保育所廃所、保育児童は以後は和具にある市立の志摩幼保園に入園 
2014  平成
26 
3月 御座小学校休校、小学生は以後は和具小学校に入学(後日、廃校の予定)
        越賀中学校休校、中学生は以後は和具中学校に入学

  
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